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純喫茶について(2)

前回の続き。最初にお断りしておきますが、私は別に外資系コーヒー屋攘夷・排斥論者、というわけではありません。私もスペシャリティコーヒーのお店はたまに利用します。安心して標準的なおいしさを楽しめるし、大阪の純喫茶でたまに遭遇する、冷めたコーヒーをホーローの鍋で再加熱して提供する、なんてひどいことはあり得ない。要はバランスが大事、ということが言いたいだけです。純喫茶も数あるし、日曜に開いているチェーン店もある、という共存状態が望ましいのでは?と言いたいだけです。


↑京町堀の喫茶店、"ぐらんたす"。コーヒーおいしい。


経済効率だけの話をすると、安くって美味しいコーヒーを出すチェーン店に軍配があがるのでしょうが、こと嗜好品や食事の話になると、経済効率だけでなく店員さんという要素も大切になります。スターバックスの店員さんって愛想も良くって親切で、最初の頃は明るく落ち着いた店の雰囲気とあわせて好意的だったのですが、最近はそれもありがたみが薄れ、当たり前に感じてしまいます。どこの店でも同じ愛想の良さを何年にもわたって見せられると、次第に「この店の特徴はなに?」「どうせマニュアルでしょ?」と以前には感じなかった小さな不満足が発生してしまう。マニュアル管理の限界、といってしまえばそれまでですが。このへんはそれぞれ個性あるオーナーがカウンターの向こうにいる喫茶店と比べようもないのでしょうが…

話はすこし横にそれますが、どうもわたくし、個人的にアメリカ的なチェーン店を忌み嫌っているところがあって、その地方や街の個性がまったくみられない、でっかいショッピングモールも上記と同じような理由で大嫌い。巨大ショッピングモールが地方に沢山できて、かつてあった地元の商店街がシャッター通りになっていくのを見ていると、日本の街(特に地方都市)はこの先どうなるのかと憂いを感じてしまいます。
日本の地方部が都会の模倣をすることで、かつて存在した個性を失うという流れ。
店員さんがマニュアルによって教育されたアルバイト中心に構成されていて、またそれが日本全国ほぼ同じ、まるで赤いのは消防署、黄色はタリーズ、緑はスタバ、という同じ形で店を構えているというのはどうなんでしょうか?


先月、http://jp.ibtimes.com/article/biznews/080702/21079.htmlという記事を読みました。これはアメリカの話ではありますが、これがもし日本に起こったらどうなるのでしょう?すでに多様性を失った喫茶店文化はおそらく復活しないだろうし、またそこに新しく別のチェーンが入店するだけ、と考えたらうんざりします。多様性を失った生態系が脆弱であるように、街もいろんな店があって成立しているほうが力強く、かつ魅力的だと思います。

小さい喫茶店、商店街、そして路地とか・・・そんな感じのモノとかコトをみなさんももっと応援していきませんか。

↓オススメ本
日本の路地裏100