地震の日の話

大阪の北部で地震がおこってから1週間が経ちました。 この数日は余震の数も減ってきて、私の生活圏ではいつもの日常と変わらなくなってきました。 たくさんのご心配の声をいただきました。ありがとうございます。 今はおかげさまで普通に戻っていることを報告申し上げます。

備忘のために当日(2018年6月18日)に経験したことを記します。

その日は朝から東京に行く予定で新大阪駅に向かう幹線道路を車で走っているところでした。 道路全体がとつぜん揺れて、一瞬何が起こったのかと思った矢先に携帯電話の緊急地震速報の音。 ああ、どっかで地震があったんだと思いきや、ラジオで自分が震源のすぐ近くにいたことを知り、大阪北部にある自宅に電話をして家族の無事を確認します。

新幹線が止まっているので東京出張もできないので、そのまま会社へ。 ラジオではすべての電車が止まっているとのことなので、既に出社してくれていたスタッフが十数名のみで会社はガラガラ。テレビやラジオからは誰かが死んだとか火事が発生とかいう話は聞こえてこないので、頼むからこのまま被害拡大しないで!そしてうちの社員さんやその家族は無事でいてよ、と祈るしかありません。

印刷機はじめ各種設備も稼働前に点検をして、損傷が無いことを確認。いくつかの落下物や転倒物はあったものの、致命的なダメージはないことがわかって安堵しました。

結局その日は、何名かが会社までの長い距離を歩いたり、電車に缶詰になりながらも線路を歩いて出社してくれたりパラパラと社内に人が増えていくのを見ながら、頼むからでかい揺れはもう来ないでよ、とこれまた祈るのみです。 大阪北部に住む数名は、家中に落下物が散乱したりライフラインが数日止まったりと被害が大きかったのですが、これだけ揺れてこの被害、それまでの日本で発生した大きな震災に比べると全然被害の規模は小さいなと感じました。

近所のコンビニやスーパーにはいつもと変わらず何でも売られているし(夕方におにぎりと水がなくなった程度)、電話も夕方には普通に通じるようになった。とりあえず今日のところは安全にやり過ごせたなという思いと、まだまだ余震がくるから油断を許さないという緊張が同居します。

東京や九州の方々からも心配するメールやLINEをいただきました。いま目の前にある、でかい地震があったんだけれども日常とほぼ変わらない景色と、遠くのお客様、取引先様が心配してくれて大災害なの?困ったら何でも言うてね、というありがたいお言葉のギャップに少し困惑しながらも、こうして声をかけて頂けることに感謝します。 また、大阪府の中でも、南大阪の人と北部の人の話をそれぞれ聞いても、ああこれだけ景色が違うのかとも驚きました。

大阪最北部にある自宅は瓦が落ちたり家中にヒビが入ったり微妙に被災している感じなのですが、高槻や茨木の一部に比べたら全然困っていないので、これは被災と言っていいのだろうか?とも思い、自分のことを客観的に見る難しさを感じます。 何はともあれこの近辺では余震と蹴球の1週間でした。

会社は無事通常運行です。心配いただきありがとうございました。

個人的に驚いたのはこれ。近所で当社が運営している江戸堀印刷所の活字がどっかーんと落ちました。

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阪神大震災や東日本大震災で活字が散乱したせいで、それまで活版印刷を生業にされていた方が「もう商売を続けるやる気が失せたよ・・」と廃業された方が多くいる、という話を聞いたことがありました。そのお気持ち、ほんの僅かでしかありませんが少し理解できたような気がします。