視野を失ってわかったこと

前回の続きです。
眼の病気、網膜剥離の手術をして無事退院できたとはいえ、右目下半分はまだ見えない、という特殊な状況。生活はできるのですが、右下が完全に視野から外れているので、いちいち右のつま先で床に置いてあるものや障害物を蹴飛ばしてしまいます。床のものを蹴飛ばしてしまったら足が痛い、だけで済むのですが、長年の感覚で「そこにはモノがないはず」と認知しているのに実際は見えていないのでつまずいてしまう。以前と同じスピードで歩くのが怖くなり、自然とゆっくりとした歩行となりました。
そんな自らの状況でわかったこと。
「街をゆっくり歩くとこわい」ということ。

退院後、大阪駅近辺の雑踏を歩く機会がありました。ゆっくりと歩いていると、右後ろから来た人がガンガンと私に当たってくる。最初はなぜかわからなかったのですが、だんだんと理由がわかってきました。私以外の皆さんは、いわゆる人の流れに乗って歩いています。一方で私は、流れに乗り切れずに一人ゆっくり。いわば、皆さんの流れを邪魔するような存在になってしまっていたのです。おまけに右下の視力がほぼないので、右後ろから私を追い抜く人の存在も全然予知できません。
そうか。ゆっくり歩くのは怖いんだ、と。その時にはじめて、足の悪い老人や体の不自由な方、車いすの人の気持ちが少しわかりました。健常なときは、これらの人たちに対して、単にハンディキャップがあるからゆっくり歩いているんだな、くらいにしか考えていませんでした。なんと浅はかなと今では反省します。そう、彼らはゆっくり歩かざるをえないどころか、人の流れに乗れないので突然ぶつかってこられるような怖い体験が日常となっているのだということです。

自らがハンディキャップ(といえないくらい軽いハンディですが)を体験してみて、はじめて体の不自由さがもたらす怖さを少し理解できたかも。
人の流れだけでなく、トイレの段差、屋外、屋内にかかわらず少しの段差が、予期できずにつまずいてしまうような障害物になります。
これまでバリアフリーは大事、なんて世間にあわせて意識しているつもりでいましたが、まったくわかっていませんでした。手すり、段差をなくすこと、ゆっくり歩く人への配慮、すべて自分が体験してみてはじめてわかったことです。
これからもかなり強く意識して、こういう世の中の障害を見ていこうと心に刻んだ次第です。視野が全て復活して健常な自分に戻ったあとでもこの事を忘れないように、自戒を込めて書いておきます。

なかでも怖かったのは大阪駅と梅田駅を結ぶ横断歩道。よろよろ歩く私は何人もの人とぶつかってしまいました。