雑貨の終わり

えらく変わった本と出会いました。「雑貨の終わり」という本です。

雑貨の終わり


東京で雑貨店を経営されている三品輝起さんという方が書かれた本。
出会いのきっかけはいつも聴いている若林恵さんのポッドキャストで、ゲストスピーカーの三品さんが語られている内容が強烈に面白かったから。
www.listennotes.com


すぐさま本も購入しました。
叙情的な美しい筆致で書かれているエッセイなのですが、内容は消費社会を独自の目線で俯瞰した、これは!と考えさせられる内容です。ちょっと諧謔的な語り口に、ああ印刷屋である自分も世界が「雑貨化」していく片棒担ぎをしてるのかも、という気にさせられます。

長い目で見て絶望的になる、身も蓋もない、元も子もない感というか。

うちの会社は文房具のような紙製品雑貨をつくるような業種ではありません。とはいっても、カレンダーやメモ帳、伝票という紙雑貨を作るという意味では雑貨界と縁がないわけではない。○○を作りたいのですが、とお客様から相談を受け、その意図をコストを考えながら作るということを生業としている。この本を読むとその行為の先には希望がなく、空しさしかないのではと考え込んでしまいました。

村上春樹、マガジンハウス、無印良品そしてアマゾンとおなじみの名前も登場するのですが、その書かれ方もなるほどそう来ますか、と膝を打つ内容。ああ自分自身もこの60年代からの大きな渦中のなかに生まれて今に至っている。自分で考えて、選択して消費しているつもりだったのに実はしっかりと大きなビジネスの流れに絡め取られていたのだなと気づかされます。

モノや雑貨の切り口で社会をみる、と書くと、え?monoマガジンか?というと全然違い、ここで語られる内容は新しい消費の考え方とつながっているような重い内容。うまく伝えられないのがもどかしい。

無印良品が家を売るいま、著者が「すべてのものは雑貨化する」と言う中で少ないながらも「雑貨化しないもの」として挙げているのが、「専門店」でしか売られていないもの。お薬、エアコン、職人さんが使うようなドリル、そしてディズニーとiphoneも並べられます。そのいずれもが使い手の切実さ、必要性に裏づけされている。(そうか、iphoneもディズニーも確かに専門店でしか売られてないわな。)
個人が営む雑貨店、100円ショップ、ホームセンター、巨大ショッピングモール。これらの垣根が消えていき、その行き着く先に巨大帝国であるアマゾンがそびえ立っている。
何らかの専門性に裏付けされているか、もしくは誰かにとっての切実な「これしかだめなの!」というほどに愛され続ける何か、にしか明るい未来はないのかも。

時折出てくるエピソードには、そんなこと言ってええの?と笑ってしまう内容も多くあっという間に読了しました。
すべての人に愛されるような本ではなく、興味のない人にとってはどうでもいいことについて考え巡らせているようにしか見えない内容かもしれません。しかし自らの商売の立ち位置を考え続けていたり、消費そのものに関心がある人にとっては少し立ち止まって考える新しい視座を与えてくれる本だと思います。私は一人で大盛り上がりして、著者のデビュー作「すべての雑貨」も続けて読了しました。
『すべての雑貨』 | 夏葉社

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(雑貨店の店主が、「すべての雑貨」を書いた後に「雑貨の終わり」を上梓という。なんとも渋い。)